人生

何のために働くのか?物足りなさを感じる30代の結論

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  • どうもー投資の力でアーリーリタイアを目指しているミドリムシです。

ちょっと心と体がお疲れちゃんのサラリーマンが人生について考える迷走ブログの始まりです。

体調が悪い日が続いており、なかなか活動できないでいました。本日は少し体調が良いので久しぶりのブログ更新です。

前回の新章第3回目の記事はこちらです。

「仕事なんか生きがいにするな」第1章まとめ 結局は内面の充実が大切!って話

どうもー投資の力でアーリーリタイアを目指しているミドリムシです。 ちょっと心と体がお疲れちゃんのサラリーマンが人生について考える迷走ブログの始まりです。 前回の新章第2回目の記事はこちらです。 3回目 ...

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4回目の本日は、「仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える」の第2章をざくっとまとめておこうと思います。

前回同様まとめといっても、ミドリムシがふむふむと思ったとこの切り抜きぐらいに思ってください。

この記事をご覧になって、何か思うところ、感じるところがあった方は書籍をご覧ください。

みなさん、一人一人の悩みにあったヒントを見つけられると思います。

それでは行きましょう!

夏目漱石の『それから』における”父の説教”

「働くことへの違和感を感じる人が最近になって増えてきている。」、そんなニュースを見聞きします。

しかし、このような人は昔からいたのですね。

夏目漱石の『それから』という小説のなかで、主人公である代助がそのような違和感を持つ様子が描かれています。

代助は、「高等遊民」の代表的人物として描かれています。

「高等遊民」とは

高等遊民(こうとうゆうみん)とは、日本で明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由がないため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと。

出典:Wikipedia

この伝助が父親から説教を受けるのですね。説教の内容は、次のようなものです。(ざっくり、ミドリムシ訳です)

「十分な教育を受けているのだから、世の中のために働け。ぶらぶらしているのも心持ち良くないだろう。」

そんな彼が何と闘っているのか筆者は、次のように解説してます。

彼は、父親が世のため人のために何かすべきだ、と説教してくることが、一見、利他的な生き方を奨励しているように思えるが、その実は、利己的なハングリー・モチベーションに過ぎないことを見抜いており、そこにかなり批判的な視線を向けています。

<中略>

代助はその後、旧友の平岡と再会し、そこでも「働くこと」についての議論が交わされます。

「君は金に不自由しないから不可ない。生活に困らないから、働らく気にならないんだ。要するに坊ちゃんだから、品の好い様なことばっかり云っていて、──」

代助は少々平岡が小憎らしくなったので、突然中途で相手を遮ぎった。

「働らくのも可いが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麵麭を離れている」

〈中略〉

「つまり食う為めの職業は、誠実にゃ出来悪いと云う意味さ」

「僕の考えとはまるで反対だね。食う為めだから、猛烈に働らく気になるんだろう」

「猛烈には働らけるかも知れないが誠実には働らき悪いよ。食う為の働らきと云うと、つまり食うのと、働らくのと何方が目的だと思う」

「無論食う方さ」

「それ見給え。食う方が目的で働らく方が方便なら、食い易い様に、働らき方を合せて行くのが当然だろう。そうすりゃ、何を働らいたって、又どう働らいたって、構わない、只麵麭が得られれば好いと云う事に帰着してしまうじゃないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から制肘される以上は、その労力は堕落の労力だ」

ここでは、ハングリー・モチベーションを真正面から主張する平岡に対して、代助は「働くこと」に関する自説をとうとうと述べています。

「食う方が目的で働らく方が方便なら」そのような仕事は決して誠実なものではないだろう、というのが彼の主張です。つまり、代助にとって働くこととは、「麵麭を得るため」のものではないのです。先に紹介した「人はパンのみにて生くるにあらず」と言ったキリストと同様、ハングリー・モチベーションで働くようなことは精神の堕落であり不純である、と代助は考えているわけです。

出典:仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える

つまり代助は、働くということ自体を目的とした純粋な行為であってほしいというのです。

頭がいい人の考えることはスッと理解できません。

理想的な「働くこと」とは、『その仕事自体が目的である』という状態、すなわち『それをやりたいから、やっている』という状態ということなのでしょうか。だとすると「やりたいこと」を見つけなければならないですね。そんなものは存在するのでしょうか。

少し自分の過去に問いかけてみます。仕事のなかで、やりたいことをやっていた感覚を持った経験があるか。

すると、昔はなんとなく「楽しい」という感覚があったことを思い出します。

  • 入社1年目にトラブル案件のプログラム改修チームに抜擢されて成長しながら役割を全うできた時
  • 2年目で異例の転勤となったが、転勤先でトラブルを収束させながら顧客の信頼を勝ち取って行った時
  • グループ内の新規事業立ち上げプロジェクトメンバーに任命され、新しいアーキテクトを構築していた時
  • 自社の巨大プロジェクトの主要メンバーとして、海外パートナーをまとめながらPJの目標達成を目指していた時

どんなときに、自分が楽しいと感じていたのかキーワードが見えてきた気がします。

「主体性を発揮しながら自身が成長しているとき」に楽しいと思えていたように思います。

しかし、この「なんとなく楽しいと思えた仕事」は『それをやりたいから、やっている』という感覚のもとは違います。

与えられた仕事のなかで、自分なりになんとか見つけ出した楽しさ。言い換えれば、後付けの楽しさのように思います。

当時はやるしかない状況のなかでがむしゃらにやって、振り返ってみると大変だったけどあの時は「なんとなく楽しかったな」というものです。

これはこれまでの仕事の姿勢としては正しい姿だと、自己肯定しています。

その根拠として私が賛同している考え方をご紹介します。

いったん特定の選択肢を選んだら、あとは日々を楽しむ気持ちで偶然に身をゆだねましょう。

「自分が本当にやりたい仕事とは?」や「自分にとってベストな仕事とは?」などと日常的に思い悩むよりは、ある程度まで偶然に身をゆだねたほうが確実に毎日を幸せに暮らせるはずです。

無計画のまま享楽的に生きるのではなく、かといって適職の幻を追い続けるのでもなく、目の前の選択肢についてしっかりと考えたら、あとは人生の流れに身を任せる。

これがキャリア選択における「人事を尽くして天命を待つ」の正しい姿です。

出典:『科学的な適職』(鈴木祐 著)

キャリアは山登りに近く、森の中を頂上であろう方向に日々歩いて行く。その過程でたまに、木々の間から頂上が見えるような瞬間がある。この瞬間を繰り返して、自分の進む道のようなものが徐々に見えていく。このような考え方が好きです。

では、なぜミドリムシは迷い始めているのでしょうか。

それは、山の頂上が見え始めたときに感じた違和感だと思います。

突然、自分の人生を生きている感覚を感じれなくなってしまったのです。「この山に登ってきた意味あったんだっけ?」、「これを続けていって良いのだろうか?」という疑問を持ったのですね。

これがまさに「中年の危機」です。

「仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える」では、青年期と中年期の悩みの違いについて次のように説明しています。

青年期の危機は、人が社会的存在となっていこうとする出発点での様々な苦悩、つまり、職業選択や家庭を持とうとすることなど「社会的自己実現」の悩みを指すものですが、中年期の危機の方は、ある程度社会的存在としての役割を果たし、人生の後半に移りゆく地点で湧き上がってくる静かで深い問い、すなわち、「私は果たして私らしく生きてきただろうか?」「これまでの延長線上でこれからの人生を進んでいくのは何か違うのではないか?」「私が生きることのミッション(天命)は何なのか?」といった、社会的存在を超えた一個の人間存在としての「実存的な問い」に向き合う苦悩のことです。

青年期には重要に思えた「社会的」とか「自己」といったものが、必ずしも真の幸せにはつながらない「執着」の一種に過ぎなかったことを知り、一人の人間として「生きる意味」を問い始めるのです。

出典:仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える

筆者の言う、社会的存在を超えた一個の人間存在としての「実存的な問い」に向き合う苦悩。これを乗り越えた先に何があるのか、そもそも乗り越える術はあるのか。

本書にヒントがあるはずです。読み進めていくことにします。

「働くこと」は何のためか

代助は食うために働くのは不純であり、「働くこと」が、それ自体を目的とした純粋な行為であって欲しかったといいます。

この問いを深く考えるために筆者は、鉄が右車ハンナ・アレントの考えを紹介してくれています。

アレントは、一九五八年に発表した『人間の条件』という著作の中で、人間の活動全般を「活動的生活vita activa」と呼び、これを三つに分けて考えました。

それは、「労働labor」と「仕事work」と「活動action」の三つです。

この三つの活動力とそれに対応する諸条件は、すべて人間存在の最も一般的な条件である生と死、出生と可死性に深く結びついている。

労働は、個体の生存のみならず、種の生命をも保障する。

仕事とその生産物である人間の工作物は、死すべき生命の空しさと人間的時間のはかない性格に一定の永続性と耐久性を与える。

活動は、それが政治体を創設し維持することができる限りは、記憶の条件、つまり、歴史の条件を作り出す。(『人間の条件』より ハンナ・アレント著 志水速雄訳)

つまり「労働」とは、人間が動物の一種として生命や生活の維持のために、必要に迫られて行うような作業を指しています。

そこで生み出される産物は、消費される性質のもので、永続性を持たないのが特徴です。

一方「仕事」とは、人間ならではの永続性のある何か、例えば道具や作品のようなものを生み出す行為を指し、「活動」とは、社会や歴史を形成するような政治的働きかけや芸術などの表現行為のことを言っています。

しかしアレントは、ギリシヤ時代には、これらのどれよりも大切なこととして、本来は「観照生活vita contemplativa」というものが位置付けられていたと述べています。

この「観照」とは、現代の言い方では内省や瞑想といった言葉が近いかもしれませんが、自然や宇宙の真理を感じ取るべく、静かにそれと向き合うことを指しています。

ギリシヤ人によって、動的な「活動的生活」も思考することも、それらすべてはこの静的な「観照生活」に向かうべきもので、これこそが究極の人間らしい在り方とされていたのです。

出典:仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える

「労働」と「仕事」の定義がでてきましたね。

ギリシャ人はとうの昔に「労働」を毛嫌いし、より人間らしい「仕事」や「観賞生活」で日々を満たすことを追い求めていたようです。

ギリシャの人々は、生きる必要に迫られて「労働」に拘束されてしまうことは、家畜のように動物的なレベルに留まるものだと考えました。

人間らしさを阻害する「労働」を避けるために奴隷を必要としていたと言うのです。

今では奴隷なんていうものは許されないわけです。

しかし、実質的には私を含む多くの現代の労働者はギリシャ人の考える消費される性質を持った「労働」に1日の大半を捧げています。

では未来の「労働」は誰が担うのか?それはロボットなのかもしれませんね。

ロボットが「労働」し生活に必要なものを生産してくれる。人はより人間らしい、「仕事」、「活動」を行うような生活が待っているかもしれません。

ベーシックインカムの議論や、FIREムーブメント、技術革新による人型ロボット開発の発展する様などから、人間が「労働」からの解放を切望しているのは間違いないでしょう。

さらに言えば、DAOとトークンによって形成される新しい経済圏の発展も「労働」から解放され「仕事」へシフトしていくトレンドの変化と考えられます。

一方でアレントは「労働」というものが、人間が生きもとして得られる「至福と喜び」の源泉であるともいいます。

どういうことか、ざっくりまとめます。

  • 労働の労苦と努力を完全に取り除くことは、人間的な生活から活力と生命力を奪うことになる
  • 人は苦痛と努力によって、生命を拘束することで自らを感じられる
  • これらがない生活は、生なき生活と言える

このように人間には「労働」を軽蔑して避ける側面と、「労働」によって生命の喜びを感じる2面性があります。

まったく、ややこしい性質です。

この2面性が私やみなさんの「仕事いやだ」、「でも仕事を完全に辞めたらダメになりそう」という感情の源泉なのでしょう。

であるなら、我々が「仕事」と呼んでいるがギリシャ人的には「労働」というものから自らを解放し、より人間らしい「仕事」を行う中で多少の苦痛を感じ、努力することで活力を得ながら生活するというのが良いのかもしれません。

やっと見えてきました。

私のFIREとは『「労働」から解放され、「仕事」を通じてより自分らしく暮らすこと』です。

「労働」・・・他人が「価値」を感じるが故に金銭をもらえるもの。自分は「意味」を感じないもの。自分が生きるために行うもの。

「仕事」・・・自分が「意味」を感じるもの。心からやりたいこと。

まだ、解像度が低い感は否めないのですが少しずつ見えてきました。

この一文に辿り着くのにも時間がかかりました。まったく、頭が悪いと言うのは辛いものですね。

さて、長くなりましたので今回はここまで。

次回は、ギリシャ人のいう「仕事」が凋落し「労働」が賞賛されるようになった流れをみていきます。

そして本丸の「働くこと」への違和感の正体を考えます。

では、また!

 

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