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「仕事なんか生きがいにするな」第1章まとめ 結局は内面の充実が大切!って話

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どうもー投資の力でアーリーリタイアを目指しているミドリムシです。

ちょっと心と体がお疲れちゃんのサラリーマンが人生について考える迷走ブログの始まりです。

前回の新章第2回目の記事はこちらです。

仕事に意味を見出そうとしているダサい自分に気づいた話

どうもー投資の力でアーリーリタイアを目指しているミドリムシです。 新章開幕ということで、ちょっと心と体がお疲れちゃんのサラリーマンが人生について考える迷走ブログの始まりです。 前回の新章1回目の記事は ...

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3回目の本日は、「仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える」の第1章をざくっとまとめておこうと思います。

まとめといっても、ミドリムシがふむふむと思ったとこの切り抜きぐらいに思ってください。

この記事をご覧になって、何か思うところ、感じるところがあった方は書籍をご覧ください。

みなさん、一人一人の悩みにあったヒントを見つけられると思います。

それでは行きましょう!

「何がしたいのかわからない」という悩み ~「楽になりたい」というささやかな夢~

  最近様々なメディアで、若い世代の人たちの「何をしたいのかわからない」「特にやりたいこともない」といった発言を耳にします。

さらには、小・中学生に将来の夢を尋ねても、中には「楽になりたい」「楽に暮らせればそれでいい」といったものもあるようです。

実際、私がクライアントから受ける相談においても、やはりそういった悩みがとても増えてきていることは、間違いありません。

彼らは共通して、「そもそも何が好きで何が嫌いなのか、あまり考えたこともない」と語り、幼少期から親が一方的に用意した習い事や「お受験」に埋め尽くされて、自身の「好き/嫌い」を表明することもできないまま、受動的に育ってきた歴史を持っています。

にもかかわらず、いざ進路や職業を選択する時期になってから、周囲から唐突に「何がしたいのか?」「将来のヴィジョンは?」と尋ねられたとしても、彼らには何も浮かぶものはなく、ただただ困惑してしまうのも当然の成り行きでしょう。

人間は、まず「好き/嫌い」を表明することから、自我の表現を始めるものです。

ただし「好き/嫌い」といっても、初めから「好き」が出てくるわけではなくて、「嫌い」、つまり「ノー」を表明することから始まるようになっているのです。

「ノー」を表明できない人に「好き/嫌い」が語れるはずがない。そして、そうのような人が増えているということですね。

その要因は育ってきた環境にあるようです。

「あなたのためよ」という名目の下、親の価値観に縛られて「ノー」を許されない状況で生き抜かなければならない子供たちは、主体性を放棄する以外に生き延びる道がありません。

つまり、こうして大切な自我の基本であるはずの「好き/嫌い」というものが封印されてしまうことになります。

このように、自我の芽を積まれて育ってきた彼らにとっては、精一杯のささやかな希望が「もうこれ以上何かを強制されたくない」という願い、つまり「せめて面倒なことは最小限にして、少しでも楽な人生を送りたい」という形になるのは、必然の結果なのです。

私は割と自由に育てられてきたと思っています。ですが、一方で「こうすべき」、「こうあるべき」のような他人軸の価値基準で物事を選択してきたようにも思います。その要因は、自信のなさのような気がしています。

その自身のなさがどこから来るのか。その解にたどりつくにはもう少し内省が必要です。

「自分がない」と困惑 〜現代の「うつ」の根本病理〜

親や社会から求められることを受動的に遂行して、人生の意味など考えることもなく、ただ日々をこなして生きていくことは、生きている実感には乏しくとも、ある程度までは可能かもしれません。

しかし、人間らしさの中核として私たちの中にある「心」は、いつまでもそれを許したり、我慢を続けてくれるわけではありません。

個人差はあるものの、その人の「我慢」のタンクが一杯になった時、「心」は分かち難くつながっている「身体」と協働して、何がしかのシグナルを発してきます。

食欲がなくなる、いろいろな物事に興味が持てなくなる、妙に怒りっぽくなる、睡眠が取りにくくなる、仕事で凡ミスが増える、等々。

いやー今の自分の状況と一致します。ブッ刺さります。

この状態を放置していくと、うつ状態が始まると筆者は述べています。

近年の「新型うつ」と呼ばれる病態を抱えるクライアントのことを筆者は次のように分析しています。

彼らは大概、様々な事情により「自我」の芽を摘まれて育ってきた歴史を持っています。

それゆえ、人生を順調に進んでいるように見えても、その内実においては「生きるモチベーション」という動力のない、言わばトロッコのような在り方だったのです。

順調に進んでいた時には、本人自身も周囲も、それが問題であるとは思いもしなかったわけですが、レール上の小石のような障害物によって、あっけなく進めなくなってしまいます。

つまり、そもそも他動的に押された慣性で走っていたために、「それぐらいの困難は乗り越えるべきものだ」といくら発破をかけられても、そもそも動力が見当たらないのです。

このように動けなくなり「うつ状態」に陥ったクライアントは、そこではたと「生きるモチベーション」の不在に気付くことになります。

このモチベーションの不在は、「自分がない」ことから生じた問題なのですが、その「自分」に対して唐突に「何がしたいのか」「何がイヤなのか」と問いかけてみても、「自分」は何も答えてはくれません。

長い間、「ノー」を禁じられて「自分」の声を聞かずに来たのですから、そのように扱われてきた「自分」の側ももはや主張することを諦めてしまっていて、口をきかなくなっているのです。

いやー「生きるモチベーション」の不在。もれなく、私のモチベーションさんも不在なんですが・・・

どうすればよいのでしょうか。

解決可能な方法はただ一つ、その問いを真正面から受け止めて、本人なりの「意味」を見出せるところまで諦めずに進むサポートをすることだけでしょう。

しかし、人は「主体性」を奪われた状態のままで、自力で人生に「意味」を見出すことは原理的に難しいものです。

まずは、人生の「意味」を求める前に、「意味」を感知できる主体、すなわち「自我」を復活させることから始めなければなりません。

私にはまだ「意味」を感知できる主体である「自我」は残っていると信じてみます。

自力で「意味」を見出すことにチャレンジしてみたいと思うのです。

消費社会が生み出す「受動的人間」

「主体性」を奪われた状態では、人生の意味を見出すのは難しいという筆者。

では、「主体性」を奪われた状態とは具体的にどのような状態なのでしょうか。

筆者は精神分析科エーリッヒ・フロムが用いた「受動的人間」という言葉を解説する過程で次のように説明しています。

フロムは「受動的な人間」という言葉を用いていますが、これは通常の「受動」の用い方とは決定的に異なっています。

つまり、外見上いかに「能動」に見える活動的な行為であっても、それが内面的空虚さを紛らすために消費社会によって生み出された、外から注入された欲求で動いているものは、その内実は「受動」でしかないのだ、と言っているのです。

一見的に能動的にみえる活動も、外的要因によって動いていたら「受動」ですからーざんねーん!!ということです。

では、具体的にどのうな事象がなんちゃって能動なのでしょうか。

物を次々に手に入れないと気が済まない。

何か物足りないので、空腹でもないのに食べ物を詰め込む。

休日を「有意義に過ごした」と思いたいので、出来合いのレジャーや娯楽に時間を使う。

スケジュールに空白ができるのがイヤなので、用事を隙間なく詰め込む。

通勤時間といえども時間を無駄にしたくないので、経済新聞を読んで経済情勢についてキャッチアップするか、語学学習にあててスキルアップを図る。

独りぼっちの感覚に陥らないように、LINEやツイッター、メールなどのネットツールで常に誰かとつながっていようとする。

家にいる間は、観ていなくても、とにかくずっとテレビをつけておく。

暇を潰すためにゲームやネットサーフィンをダラダラとしてしまう、等々。

これらはどれも、私たちが内面的な「空虚」との直面を避けるために、ついつい行ってしまう「受動」的行動です。

現代人の「空虚」は、「空白」「無駄」「無音」といったものによって実感させられやすいので、これを避けるために様々なツールが生み出され、人々はそれに群がります。

「自分が成長するように時間を大切に使う」といった学校レベルでは大いに推奨されそうな行動も、「空虚」からの逃避がその隠された動機なのだとすれば、これもやはり「受動」の一種に過ぎないと言えるでしょう。

なるほど。最後の一文はなかなか厳しい一文です。

つまり私が教養系の Youtubeを見て自己研鑽に励んでいるのも、「空虚」「空白」を埋めるための「代理満足」に過ぎないということなんですね。

「代理満足」に過ぎないので「質」的な不満足が生じ、さらに量を追い求めている・・・

仕事の合間に満たされないからYoutubeを見ている私の行動原理が理解できました。

やばいですね。

はやく内面を充実させて、自分が心からワクワクすことが何かを見つけていかないと。

さもなくば、心の「空白」は埋まらずいつまでも「代理満足」でコンテンツを消費しつづける機械になってしまう。

そんな恐怖を感じました。

ということで、今日はここまで!

ではまた!

 

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